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馬には馬にあった暮らし方があり、適した食べものがあり、可愛いからって人と同じにしてはいけないことってたくさんあります。
それは馬だけじゃなくてワンちゃんも猫ちゃんもどんな動物だって同じ。
そして、同じ馬だって種類や育つ環境によって適応能力は異なります。
人間だってみんな一緒ってわけではないので当たり前ですよね。
だから、馬だからとか犬だからとか、ではなく、個々をまた考えてあげるべきで、その上で人間は、言葉で通じ合えない相手の気持ちをイメージすることが大切なんじゃないかって思うんです。

うちのコたちは北海道で生まれ、放牧で育ち、馬着を着たことがありませんでした。
なので厩舎で暮らす今でも、馬着は着させていません。
そのかわり9月頃から徐々に毛を伸ばし、真冬にはもっこもこのぬいぐるみのようになり、寒さに耐えらる体に変わっていくのです。

でも、温度管理のされた厩舎で馬着を着て過ごしてきた馬は真冬でもそこまで毛を伸ばしません。その上満足な食事も与えずにいきなり極寒の地で昼夜問わず放牧すれば、いくら寒さに比較的強いとされる馬でも体は順応できず、悲鳴を上げます。

わたしたちでもコートを着ていたのにある日突然脱がされてTシャツのまま冬を越せと言われたら体を壊しますよね。
このように環境に応じて体を作っていくため、同じ馬だからといって急に違った環境下におくと不調を起こしたりもするんです。
きっとそんな状況は、馬にとってとても苦しいことなんだと思うのです。ましてや仲間もおらず、たったひとりぼっちで放っておかれたらどんな思いをするのだろうか。

命あるもので少なくとも感情(と表現していいのか定かではありませんが)を持ち合わせた生き物である以上、 痛いことや辛いこと、苦しいことは、私たち人間とおんなじなのではないでしょうか。
だから、自分がされて嫌なことはしないほうがいい。
もしも痛みや苦しみ、辛さを与えざるを得ない場合は、正当な理由を私たちは持つべきだし、彼らの気持ちを感じ取る必要があると思うのです。

いつだったか、食肉にするために命に終止符を打つ仕事を持つ方達は、いかにすれば苦しませずに逝かせられるかに身を削る思いで取り組んでいると聞いたことがあります。

じゃあわたしはなにをすればいいのだろう。

もしもわたしが大金持ちだったらできる限りの動物が暮らせる巨大な場所を作りたい。
でもわたしは大金持ちでは現在ありません。

だから今はまだ、ビバ、シル、ハクに苦しむ思いをさせないことしかできません。
いや、それができたらすごいことだと思っているんです。
だってボスは幼い頃から馬と暮らしてきた経験値と高い技術を持ち合わせていますが、わたし自身は、馬という生き物の勉強を含め、日々手探りの中ウマコたちとのベストな関係を模索しているのだから。
こんなわたしが彼らを幸せにしているのかと問われれば、わからない、とこたえるしかありません。

ただ、人間のやり方一つで生き方を左右され、翻弄され、果ては命の決定権まで奪われてしまうのが人と共存する動物です。
そして、そんな動物たちだって人間とおなじでお母さんから産まれ、お母さんのそばで無邪気にはしゃいだ時期が一瞬でもあったはず。
それを思うからこそ、動物に対して思いやりを持ちたいと思うのです。
それがエゴであろうとなんであろうと、思いやりを持たないよりマシだと思うのです。

そう思って接するのが悪いこととは思えないのです。

少なくともわたしはそう思いながら、日々あのコたちと暮らしています。
そして馬に限らず、生きるもの全てに対してそういう気持ちで接していきたいと思っているのです。